我慢がし易かつたのに違ひない。所が、瓶の口からは、芬々《ふんぷん》たる酒香が、間断なく、劉の鼻を襲つて来る。しかも、気のせいか、その酒香が、一分毎に、益々高くなつて来るやうな心もちさへする。劉は、せめて、瓶だけでも見ようと思つて、眼をあけた。上眼を使つて見ると、瓶の口と、応揚《おうやう》にふくれた胴の半分ばかりが、眼にはいる。眼にはいるのは、それだけであるが、同時に、劉の想像には、その瓶のうす暗い内部に、黄金《きん》のやうな色をした酒のなみ/\と湛《たた》へてゐる容子《ようす》が、浮んで来た。思はず、ひびの出来た唇を、乾いた舌で舐めまはして見たが、唾の湧く気色《けしき》は、更にない。汗さへ今では、日に干されて、前のやうには、流れなくなつてしまつた。
 すると、はげしい眩暈《めまひ》が、つづいて、二三度起つた。頭痛はさつきから、しつきりなしにしてゐる。劉は、心の中《うち》で愈、蛮僧を怨めしく思つた。それから又何故、自分ともあるものが、あんな人間の口車に乗つて、こんな莫迦げた苦しみをするのだらうとも思つた。そのうちに、喉は、益々、渇いて来る。胸は妙にむかついて来る。もう我慢にも、ぢつとして
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