、汗が眼にはいると、しみるものだと云ふ事を、知つたのである。そこで、屠所《としよ》の羊の様な顔をして、神妙に眼をつぶりながら、ぢつと日に照りつけられてゐると、今度は、顔と云はず体と云はず、上になつてゐる部分の皮膚が、次第に或痛みを感じるやうになつて来た。皮膚の全面に、あらゆる方向へ動かうとする力が働いてゐるが、皮膚自身は、それに対して、毫《がう》も弾力を持つてゐない。それでどこもかしこも、ぴり/\する――とでも説明したら、よからうと思ふ痛みである。これは、汗所《あせどころ》の苦しさではない。劉は、少し蛮僧の治療をうけたのが、忌々《いまいま》しくなつて来た。
 しかし、これは、後になつて考へて見ると、まだ苦しくない方の部だつたのである。――そのうちに、喉《のど》が渇いて来た。劉も、曹孟徳か誰かが、前路に梅林ありと云つて、軍士の渇を医《い》したと云ふ事は知つてゐる。が、今の場合、いくら、梅子の甘酸を念頭に浮べて見ても、喉の渇く事は、少しも前と変りがない。頤を動かして見たり、舌を噛んで見たりしたが、口の中《うち》は依然として熱を持つてゐる。それも、枕もとの素焼の瓶がなかつたら、まだ幾分でも、
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