にはほっとひと息ついたものです。M子さんは晴れ晴れした顔をしたまま、僕等の何《なん》とも言わないうちにくるりと足を返しました。が、温泉宿へ帰る途中はM子さんのお母さんとばかり話していました。僕等は勿論前と同じ松林の中を歩いて行ったのです。けれどもあの赤蜂はもうどこかへ行っていました。
それから半月《はんつき》ばかりたった後《のち》です。僕はどんより曇っているせいか、何をする気もなかったものですから、池のある庭へおりて行《ゆ》きました。するとM子さんのお母さんが一人《ひとり》船底椅子《ふなそこいす》に腰をおろし、東京の新聞を読んでいました。M子さんはきょうはK君やS君と温泉宿の後ろにあるY山へ登りに行ったはずです。この奥さんは僕を見ると、老眼鏡《ろうがんきょう》をはずして挨拶《あいさつ》しました。
「こちらの椅子《いす》をさし上げましょうか?」
「いえ、これで結構です。」
僕はちょうどそこにあった、古い籐椅子《とういす》にかけることにしました。
「昨晩はお休みになれなかったでしょう?」
「いいえ、……何かあったのですか?」
「あの気の違った男の方がいきなり廊下《ろうか》へ駈《か》け出
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