れました。そうして眼をつぶったまま、何やら怪しげな陀羅尼《だらに》のようなものを、声高《こわだか》に誦《ず》し始めました。それがどのくらいつづいた事でございましょう。沙門のまわりに輪を作って、この不思議な加持《かじ》のし方を眺めている私どもには、かれこれものの半時もたったかと思われるほどでございましたが、やがて沙門が眼を開いて、脆いたなり伸ばした手を、鍛冶《かじ》の顔の上へさしかざしますと、見る見る中にその顔が、暖かく血の色を盛返して、やがて苦しそうな呻《うな》り声さえ、例の泡だらけな口の中から、一しきり長く溢れて参りました。
「やあ、阿父《おとっ》さんが、生き返った。」
 童部《わらべ》は竹馬を抛り出すと、嬉しそうに小躍りして、また父親の傍へ走りよりました。が、その手で抱《だ》き起されるまでもなく、呻り声を洩らすとほとんど同時に、鍛冶はまるで酒にでも酔ったかと思うような、覚束ない身のこなしで、徐《おもむろ》に体を起しました。すると沙門はさも満足そうに、自分も悠然と立ち上って、あの女菩薩《にょぼさつ》の画像《えすがた》を親子のものの頭《かしら》の上に、日を蔽う如くさしかざすと、
「天上皇帝の御威徳は、この大空のように広大無辺じゃ。何と信を起されたか。」と、厳《おごそ》かにこう申しました。
 鍛冶の親子は互にしっかり抱《いだ》き合いながら、まだ土の上に蹲《うずくま》って居りましたが、沙門の法力《ほうりき》の恐ろしさには、魂も空にけし飛んだのでございましょう。女菩薩の幢《はた》を仰ぎますと、二人とも殊勝げな両手を合せて、わなわな震えながら、礼拝《らいはい》いたしました。と思うとつづいて二三人、まわりに立っている私どもの中にも、笠を脱いだり、烏帽子を直したりして、画像《えすがた》を拝んだものが居ったようでございます。ただ私は何となく、その沙門や女菩薩の画像が、まるで魔界の風に染んでいるような、忌《いま》わしい気が致しましたから、鍛冶が正気に還ったのを潮《しお》に、※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]々《そうそう》その場を立ち去ってしまいました。
 後で人の話を承わりますと、この沙門の説教致しますのが、震旦《しんたん》から渡って参りました、あの摩利《まり》の教と申すものだそうで、摩利信乃法師《まりしのほうし》と申します男も、この国の生れやら、乃至《ないし》は唐土《もろ
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