かけた大勢の善男善女《ぜんなんぜんにょ》に交《まじ》って、日錚和尚《にっそうおしょう》の説教に上《うわ》の空《そら》の耳を貸していました。――と云うよりも実際は、その説教が終るのを待っていたのに過ぎないのです。
「所が和尚はその日もまた、蓮華夫人《れんげふじん》が五百人の子とめぐり遇った話を引いて、親子の恩愛が尊《たっと》い事を親切に説いて聞かせました。蓮華夫人が五百の卵を生む。その卵が川に流されて、隣国の王に育てられる。卵から生れた五百人の力士は、母とも知らない蓮華夫人の城を攻めに向って来る。蓮華夫人はそれを聞くと、城の上の楼《たかどの》に登って、「私《わたし》はお前たち五百人の母だ。その証拠はここにある。」と云う。そうして乳を出しながら、美しい手に絞《しぼ》って見せる。乳は五百|条《すじ》の泉のように、高い楼上の夫人の胸から、五百人の力士の口へ一人も洩《も》れず注がれる。――そう云う天竺《てんじく》の寓意譚《ぐういたん》は、聞くともなく説教を聞いていた、この不幸な女の心に異常な感動を与えました。だからこそ女は説教がすむと、眼に涙をためたまま、廊下《ろうか》伝いに本堂から、すぐに庫裡
前へ
次へ
全13ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング