るように――と云って心の激動は、体中《からだじゅう》に露《あら》われているのですが――今日《こんにち》までの養育の礼を一々|叮嚀《ていねい》に述べ出すのです。
「それがややしばらく続いた後《のち》、和尚は朱骨《しゅぼね》の中啓《ちゅうけい》を挙げて、女の言葉を遮《さえぎ》りながら、まずこの子を捨てた訳を話して聞かすように促しました。すると女は不相変《あいかわらず》畳へ眼を落したまま、こう云う話を始めたそうです――
「ちょうど今から五年以前、女の夫は浅草田原町《あさくさたわらまち》に米屋の店を開いていましたが、株に手を出したばっかりに、とうとう家産を蕩尽《とうじん》して、夜逃げ同様|横浜《よこはま》へ落ちて行く事になりました。が、こうなると足手まといなのは、生まれたばかりの男の子です。しかも生憎《あいにく》女には乳がまるでなかったものですから、いよいよ東京を立ち退《の》こうと云う晩、夫婦は信行寺の門前へ、泣く泣くその赤子を捨てて行きました。
「それからわずかの知るべを便りに、汽車にも乗らず横浜へ行くと、夫はある運送屋へ奉公をし、女はある糸屋の下女になって、二年ばかり二人とも一生懸命に働い
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