った一遍、親だと云う白粉焼《おしろいや》けのした女が、尋ねて来た事がありました。しかしこれは捨児を種に、悪事でもたくらむつもりだったのでしょう。よくよく問い質《ただ》して見ると、疑わしい事ばかりでしたから、癇癖《かんぺき》の強い日錚和尚は、ほとんど腕力を振わないばかりに、さんざん毒舌を加えた揚句《あげく》、即座に追い払ってしまいました。
「すると明治二十七年の冬、世間は日清戦争の噂に湧き返っている時でしたが、やはり十六日の説教日に、和尚が庫裡《くり》から帰って来ると、品《ひん》の好《い》い三十四五の女が、しとやかに後《あと》を追って来ました。庫裡には釜をかけた囲炉裡《いろり》の側に、勇之助が蜜柑《みかん》を剥《む》いている。――その姿を一目見るが早いか、女は何の取付《とっつ》きもなく、和尚の前へ手をついて、震える声を抑えながら、「私《わたし》はこの子の母親でございますが、」と、思い切ったように云ったそうです。これにはさすがの日錚和尚も、しばらくは呆気《あっけ》にとられたまま、挨拶《あいさつ》の言葉さえ出ませんでした。が、女は和尚に頓着なく、じっと畳を見つめながら、ほとんど暗誦でもしてい
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