。僕は彼等に背中を向けたまま、全身に彼等の視線を感じた。それは実際電波のように僕の体にこたえるものだった。彼等は確かに僕の名を知り、僕の噂《うわさ》をしているらしかった。
「〔Bien……tre`s mauvais……pourquoi ?……〕」
「Pourquoi ?……le diable est mort !……」
「Oui, oui……d'enfer……」
 僕は銀貨を一枚投げ出し、(それは僕の持っている最後の一枚の銀貨だった)この地下室の外へのがれることにした。夜風の吹き渡る往来は多少胃の痛みの薄らいだ僕の神経を丈夫にした。僕はラスコルニコフを思い出し、何ごとも懺悔《ざんげ》したい欲望を感じた。が、それは僕自身の外にも、――いや、僕の家族の外にも悲劇を生じるのに違いなかった。のみならずこの欲望さえ真実かどうかは疑わしかった。若し僕の神経さえ常人のように丈夫になれば、――けれども僕はその為にはどこかへ行かなければならなかった。マドリッドへ、リオへ、サマルカンドへ、……
 そのうちに或店の軒に吊った、白い小型の看板は突然僕を不安にした。それは自動車のタイアアに翼のある商標を描いたも
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