フだった。僕はこの商標に人工の翼を手《た》よりにした古代の希臘人を思い出した。彼は空中に舞い上った揚句、太陽の光に翼を焼かれ、とうとう海中に溺死《できし》していた。マドリッドへ、リオへ、サマルカンドへ、――僕はこう云う僕の夢を嘲笑《あざわら》わない訣には行かなかった。同時に又|復讐《ふくしゅう》の神に追われたオレステスを考えない訣にも行かなかった。
 僕は運河に沿いながら、暗い往来を歩いて行った。そのうちに或郊外にある養父母の家を思い出した。養父母は勿論《もちろん》僕の帰るのを待ち暮らしているのに違いなかった。恐らくは僕の子供たちも、――しかし僕はそこへ帰ると、おのずから僕を束縛してしまう或力を恐れずにはいられなかった。運河は波立った水の上に達磨船《だるまぶね》を一艘《いっそう》横づけにしていた。その又達磨船は船の底から薄い光を洩らしていた。そこにも何人かの男女《なんにょ》の家族は生活しているのに違いなかった。やはり愛し合う為に憎み合いながら。……が、僕はもう一度戦闘的精神を呼び起し、ウイスキイの酔いを感じたまま、前のホテルへ帰ることにした。
 僕は又机に向い、「メリメエの書簡集」を読
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