われ、当惑したことを覚えている)それからもう故人になった或|隻脚《かたあし》の飜訳家もやはり銀座の或煙草屋に第二の僕を見かけていた。死は或は僕よりも第二の僕に来るのかも知れなかった。若《も》し又僕に来たとしても、――僕は鏡に後ろを向け、窓の前の机へ帰って行った。
四角に凝灰岩を組んだ窓は枯芝や池を覗《のぞ》かせていた。僕はこの庭を眺めながら、遠い松林の中に焼いた何冊かのノオト・ブックや未完成の戯曲を思い出した。それからペンをとり上げると、もう一度新らしい小説を書きはじめた。
五 赤光《しゃっこう》
日の光は僕を苦しめ出した。僕は実際※[#「鼬」の「由」に代えて「晏」、第3水準1−94−84]鼠のように窓の前へカアテンをおろし、昼間も電燈をともしたまま、せっせと前の小説をつづけて行った。それから仕事に疲れると、テエヌの英吉利文学史をひろげ、詩人たちの生涯に目を通した。彼等はいずれも不幸だった。エリザベス朝の巨人たちさえ、――一代の学者だったベン・ジョンソンさえ彼の足の親指の上に羅馬《ローマ》とカルセエジとの軍勢の戦いを始めるのを眺めたほど神経的疲労に陥っていた。僕はこう
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