》を持つた微笑である。同時に又手近い一切《いつさい》に、軽蔑を抱いた微笑である。頸《くび》は顔に比べると、寧《むし》ろ華奢《きやしや》すぎると評しても好い。その頸には白い汗衫《かざみ》の襟が、かすかに香を焚きしめた、菜の花色の水干《すゐかん》の襟と、細い一線を画《ゑが》いてゐる。顔の後にほのめいてゐるのは、鶴を織り出した几帳《きちやう》であらうか? それとものどかな山の裾に、女松《めまつ》を描いた障子であらうか? 兎に角曇つた銀のやうな、薄白い明《あかる》みが拡がつてゐる。……
 これが古い物語の中から、わたしの前に浮んで来た「天《あめ》が下《した》の色好《いろごの》み」平《たひら》の貞文《さだぶみ》の似顔である。平の好風《よしかぜ》に子が三人ある、丁度その次男に生まれたから、平中《へいちゆう》と渾名《あだな》を呼ばれたと云ふ、わたしの Don Juan の似顔である。

     二 桜

 平中は柱によりかかりながら、漫然と桜を眺めてゐる。近々と軒に迫つた桜は、もう盛りが過ぎたらしい。そのやや赤みの褪《あ》せた花には、永い昼過ぎの日の光が、さし交《かは》した枝の向き向きに、複雑な影
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