とする努力と、笑ひたいのを耐《こら》へようとする努力とで、靨《ゑくぼ》が何度も消えたり出来たりする。――それが馬琴には、自《おのづか》ら微笑を誘ふやうな気がした。
「よく毎日《まいんち》。」
「うん、よく毎日?」
「御勉強なさい。」
 馬琴はとうとう噴き出した。が、笑の中ですぐ又|語《ことば》をつぎながら、
「それから?」
「それから――ええと――癇癪《かんしやく》を起しちやいけませんつて。」
「おやおや、それつきりかい。」
「まだあるの。」
 太郎はかう云つて、糸鬢奴《いとびんやつこ》の頭を仰向《あふむ》けながら自分も亦笑ひ出した。眼を細くして、白い歯を出して、小さな靨をよせて、笑つてゐるのを見ると、これが大きくなつて、世間の人間のやうな憐れむべき顔にならうとは、どうしても思はれない。馬琴は幸福の意識に溺れながら、こんな事を考へた。さうしてそれが、更に又彼の心を擽《くすぐ》つた。
「まだ何かあるかい?」
「まだね。いろんな事があるの。」
「どんな事が。」
「ええと――お祖父《ぢい》様はね。今にもつとえらくなりますからね。」
「えらくなりますから?」
「ですからね。よくね。辛抱おしなさ
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