ぎた。
「どうして己《おれ》は、己の軽蔑してゐる悪評に、かう煩《わづらは》されるのだらう。」
馬琴は又、考へつづけた。
「己《おれ》を不快にするのは、第一にあの眇《すがめ》が己に悪意を持つてゐると云ふ事実だ。人に悪意を持たれると云ふ事は、その理由の如何《いかん》に関らず、それ丈《だけ》で己には不快なのだから、仕方がない。」
彼は、かう思つて、自分の気の弱いのを恥ぢた。実際彼の如く傍若無人《ばうじやくぶじん》な態度に出る人間が少かつたやうに、彼の如く他人の悪意に対して、敏感な人間も亦少かつたのである。さうして、この行為の上では全く反対に思はれる二つの結果が、実は同じ原因――同じ神経作用から来てゐると云ふ事実にも、勿論彼はとうから気がついてゐた。
「しかし、己を不快にするものは、まだ外《ほか》にもある。それは己があの眇と、対抗するやうな位置に置かれたと云ふ事だ。己は昔からさう云ふ位置に身を置く事を好まない。勝負事をやらないのも、その為だ。」
ここまで分析して来た彼の頭は、更に一歩を進めると同時に、思ひもよらない変化を、気分の上に起させた。それは緊《かた》くむすんでゐた彼の唇が、この時
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