とか云ふ、古い意味の元素の霊です。エレメンタルスの名は元よりあつたでせうが、その活動が小説に現れ出したのは、近頃《ちかごろ》の事に違ひありますまい。ブラツクウツドの「柳」と云ふ小説を読むと、ダニウブ河へボオト旅行に出かけた二人《ふたり》の青年が、河の中の洲《す》に茂つてゐる柳のエレメンタルスに悩まされる。――エレメンタルスの描写《べうしや》は兎《と》も角《かく》も、夜営《やえい》の所は器用に書いてあります。この柳の霊なるものは、かすかな銅鑼《どら》のやうな声を立てる所までは好《よ》いが、三十三|間堂《げんだう》のお柳《りう》などとは違つて、人間を殺しに来るのださうだから、中々油断はなりません。その外《ほか》にまだ何《なん》とも得体《えたい》の知れない妙な物の出て来る小説がある。妙な物と云ふのは、声も姿もない、その癖|触覚《しよくかく》には触れると云ふ、要するにまあ妙な物です。これはド・モウパツサンのオオラあたりが粉本《ふんぽん》かも知れないが、私の思ひ出す限りでは、英米の小説中、この種の怪物の出て来るのが、まづ二つばかりある。一つはビイアスの小説だが、この怪物が通ることは、唯草が動くの
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