寺《けんにんじ》だつたのに気がついた。が、あの暗を払つてゐる竹藪と、この陽気な色町《いろまち》とが、向ひ合つてゐると云ふ事は、どう考へても、嘘のやうな気がした。その後《のち》、宿へは無事に辿《たど》りついたが、当時の狐につままれたやうな心もちは、今日《けふ》でもはつきり覚えてゐる。……
 それ以来自分が気をつけて見ると、京都|界隈《かいわい》にはどこへ行つても竹藪がある。どんな賑《にぎやか》な町中《まちなか》でも、こればかりは決して油断が出来ない。一つ家並《やなみ》を外《はづ》れたと思ふと、すぐ竹藪が出現する。と思ふと、忽ち又町になる。殊に今云つた建仁寺《けんにんじ》の竹藪の如きは、その後《のち》も祗園《ぎをん》を通りぬける度に、必ず棒喝《ぼうかつ》の如く自分の眼前へとび出して来たものである。……
 が、慣れて見ると、不思議に京都の竹は、少しも剛健な気がしない。如何《いか》にも町慣れた、やさしい竹だと云ふ気がする。根が吸ひ上げる水も、白粉《おしろい》の※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]ひがしてゐさうだと云ふ気がする。もう一つ形容すると、始めから琳派《りんは》の画工の筆に上《
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