るものか。
 後《あと》で外へ出たら、小林君が「好《い》い時に来ました。この上茶席が建つたらどうもなりません。」と云つた。さう思つて見れば確《たしか》に好い時に来たのである。が、一つの茶席もない、更に好い時に来なかつたのは、返す返すも遺憾《ゐかん》に違ひない。――自分は依然として仏頂面《ぶつちやうづら》をしながら、小林君と一しよに竹藪の後《うしろ》に立つてゐる寂しい光悦寺の門を出た。

     竹

 或|雨《あま》あがりの晩に車に乗つて、京都の町を通つたら、暫《しばら》くして車夫《しやふ》が、どこへつけますとか、どこへつけやはりますとか、何とか云つた。どこへつけるつて、宿《やど》へつけるのにきまつてゐるから、宿だよ、宿だよと桐油《とうゆ》の後《うしろ》から、二度ばかり声をかけた。車夫はその御宿《おやど》がわかりませんと云つて、往来《わうらい》のまん中に立ち止まつた儘、動かない。さう云はれて見ると、自分も急に当惑《たうわく》した。宿の名前は知つてゐるが、宿の町所《ちやうどころ》は覚えてゐない。しかもその名前なるものが、甚《はなはだ》平凡を極《きは》めてゐるのだから、それだけでは、いく
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