一《なるせしやういち》、松岡譲《まつをかゆづる》、江口渙《えぐちくわん》等も学校友だちなり。然れども是等の友だちのことは既に一度以上書いてゐるか、少くとも諸公百年の後《のち》には何か書かせられる間《あひだ》がら故、此処《ここ》には書かざることとすべし。只|次手《ついで》に書き加へたきは忘れ難き亡友のことなり。
 大島敏夫《おおしまとしを》 これは小学時代の友だちなり。僕も小学時代には頭の大いなる少年なりしも、大島の頭の大いなるには一歩も二歩も遜《ゆづ》りしを記憶す。園芸を好み、文芸をも好みしが、二十《はたち》にもならざるうちに腸結核《ちやうけつかく》に罹《かか》りて死せり。何処《どこ》か老成の風ありしも夭折《えうせつ》する前兆なりしが如し。尤《もつと》も僕は気の毒にも度《たび》たび大島を泣かせては、泣虫泣虫とからかひしものなり。
 平塚逸郎《ひらつかいちらう》 これは中学時代の友だちなり。屡《しばしば》僕と見違へられしと言へば、長面|痩躯《そうく》なることは明らかなるべし。ロマンテイツクなる秀才なりしが、岡山の高等学校へはひりし後《のち》、腎臓結核《じんざうけつかく》に罹《かか》りて死
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