ざとなつて見ると、冷《ひやや》かに3と別れることは出来ない心もちに陥つてゐた。
 彼は3と逢ひながら、時々彼女のことを思ひ出してゐる。彼女も亦4と遠出をする度に耳慣れない谷川の音などを聞き、時々彼のことを思ひ出してゐる。……

     八 実感

 或殺人犯人の言葉。――「わたしはあいつを殺しました。あいつが幽霊に出て来るのは尤《もつと》も過ぎる位尤もです。唯わたしが殺した通りの死骸になつて出て来るならば、恐ろしいことも何もありません。けれどもあいつが生きてゐる時と少しも変らない姿をして立つてゐたり何かするのが恐しいのです。ほんたうにどうせ幽霊に出るならば、死骸になつて出て来やがれば好《い》いのに。」

     九 車力

 僕は十一か十二の時、空《あ》き箱を積んだ荷車が一台、坂を登らうとしてゐるを見、後ろから押してやらうとした。するとその車を引いてゐた男は車越しに僕を見返るが早いか、「こら」とおほ声に叱りつけた。僕は勿論この男の誤解を不快に思はずにはゐられなかつた。
 それから五六日たつた後《のち》、この男は又荷車を引き、前と同じ坂を登らうとしてゐた。今度は積んであるのは炭俵だつ
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