話して聞かせた。彼はそれ以来別人のやうに彼の語学力に確信を持ち、とうとう名高い英語学者になつた。――これは彼の立志譚《りつしだん》である。しかし僕に面白かつたのは彼の留守宅に住んでゐた彼の母親の言葉だつた。
「うちの息子は学問をして日本語はすつかり知り悉《つく》してしまひましたから、今度はわざわざ西洋へ行つて『いろは字引』にない言葉を習つてゐます。」

     十四 母と子と

 彼は近頃彼の母が芸者だつたことを知るやうになつた。しかも今は彼の母が北京《ペキン》の羊肉胡同《ヤンヨウフウトン》に料理屋を出してゐることも知るやうになつた。彼は商売上の用向きの為に二三日|北京《ペキン》に滞在するのを幸ひ、久しぶりに彼女に会つて見ることにした。
 彼はその料理屋へ尋ねて行き、未《いま》[#底本ではルビの「い」が抜け]だに白粉《おしろい》の厚い彼女と一時間ばかり話をした。が、彼女の空々《そら/″\》しいお世辞に幻滅《げんめつ》を感ぜずにはゐられなかつた。それは彼女が几帳面《きちやうめん》な彼に何かケウトイ心もちを感じた為にも違ひなかつた。しかし又一つには今の檀那《だんな》に彼女の息子《むすこ》
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