が尋ねて来たことを隠したかつた為にも違ひなかつた。
彼女は彼の帰つた後《のち》、肩の凝《こ》りの癒《なほ》つたやうに感じた。が、翌日になつて見ると、親子の情などと云ふことを考へ、何か彼に素《そ》つ気《け》なかつたのをすまないやうにも感じ出した。彼がどこに泊まつてゐるかは勿論彼女にはわかつてゐた。彼女は日暮れにならないうちにと思ひ、薄汚い支那の人力車に乗つて彼のゐる旅館へ尋ねて行つた。けれどもそれは不幸にも彼が漢口《ハンカオ》へ向ふ為に旅館を出てしまつたところだつた。彼女は妙に寂しさを覚え、やむを得ず又人力車に乗つて砂埃《すなほこ》りの中を帰つて行つた。いつか彼女も白髪を抜くのに追はれ出したことなどを考へながら。
彼はその日も暮れかかつた頃、京漢鉄道《けいかんてつどう》の客車の窓に白粉臭い母のことを考へてゐた。すると何か今更のやうに多少の懐しさも感じないではなかつた。が、彼女の金歯の多いのはどうも彼には愉快ではなかつた。
十五 修辞学
東海道線の三等客車の中。大工らしい印絆纒《しるしばんてん》の男が一人、江尻《えじり》あたりの海を見ながら、つれの男にかう言つてゐた――
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