う》の遺制《いせい》あるなり。」とか何とか、感心したと云うじゃないか。だから何も旧弊だからって、一概には莫迦《ばか》に出来ない。』その中に上げ汐《しお》の川面《かわも》が、急に闇を加えたのに驚いて、ふとあたりを見まわすと、いつの間にか我々を乗せた猪牙舟《ちょきぶね》は、一段と櫓《ろ》の音を早めながら、今ではもう両国橋を後にして、夜目にも黒い首尾《しゅび》の松《まつ》の前へ、さしかかろうとしているのです。そこで私は一刻も早く、勝美《かつみ》夫人の問題へ話題を進めようと思いましたから、早速三浦の言尻《ことばじり》をつかまえて、『そんなに君が旧弊好きなら、あの開化な細君はどうするのだ。』と、探《さぐ》りの錘《おもり》を投げこみました。すると三浦はしばらくの間、私の問が聞えないように、まだ月代《つきしろ》もしない御竹倉《おたけぐら》の空をじっと眺めていましたが、やがてその眼を私の顔に据えると、低いながらも力のある声で、『どうもしない。一週間ばかり前に離縁をした。』と、きっぱりと答えたじゃありませんか。私はこの意外な答に狼狽《ろうばい》して、思わず舷《ふなばた》をつかみながら、『じゃ君も知ってい
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