、早くも水靄《すいあい》にぼやけた中には、目まぐるしく行き交う提灯《ちょうちん》ばかりが、もう鬼灯《ほおづき》ほどの小ささに点々と赤く動いていました。三浦『どうだ、この景色は。』私『そうさな、こればかりはいくら見たいと云ったって、西洋じゃとても見られない景色かも知れない。』三浦『すると君は景色なら、少しくらい旧弊《きゅうへい》でも差支えないと云う訳か。』私『まあ、景色だけは負けて置こう。』三浦『所が僕はまた近頃になって、すっかり開化なるものがいやになってしまった。』私『何んでも旧幕の修好使《しゅうこうし》がヴルヴァルを歩いているのを見て、あの口の悪いメリメと云うやつは、側にいたデュマか誰かに「おい、誰が一体日本人をあんな途方《とほう》もなく長い刀に縛《しば》りつけたのだろう。」と云ったそうだぜ。君なんぞは気をつけないと、すぐにメリメの毒舌でこき下《おろ》される仲間らしいな。』三浦『いや、それよりもこんな話がある。いつか使に来た何如璋《かじょしょう》と云う支那人は、横浜の宿屋へ泊って日本人の夜着を見た時に、「是《これ》古《いにしえ》の寝衣《しんい》なるもの、此邦《このくに》に夏周《かしゅ
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