は考えられない。僕は僕の生きている限り、あの池だの葡萄棚《ぶどうだな》だの緑色の鸚鵡《おうむ》だのと一しょに、やはり夢に見る娘の姿を懐しがらずにはいられまいと思う。僕の話と云うのは、これだけなのだ。」
「なるほど、ありふれた才子の情事ではない。」
趙生《ちょうせい》は半ば憐《あわれ》むように、王生《おうせい》の顔へ眼をやった。
「それでは君はそれ以来、一度もその家《うち》へは行かないのかい。」
「うん。一度も行った事はない。が、もう十日ばかりすると、また松江《しょうこう》へ下《くだ》る事になっている。その時|渭塘《いとう》を通ったら、是非あの酒旗《しゅき》の出ている家へ、もう一度舟を寄せて見るつもりだ。」
それから実際十日ばかりすると、王生は例の通り舟を艤《ぎ》して、川下《かわしも》の松江へ下って行った。そうして彼が帰って来た時には、――趙生を始め大勢の友人たちは、彼と一しょに舟を上《あが》った少女の美しいのに驚かされた。少女は実際部屋の窓に、緑色の鸚鵡《おうむ》を飼いながら、これも去年の秋|幕《まく》の陰《かげ》から、そっと隙見《すきみ》をした王生の姿を、絶えず夢に見ていたそうで
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