車へ乗るのさえかまわなければ。」
「あなたの方じゃ少し遠すぎるんです。あの辺は借家もあるそうですね、家内[#「家内」に傍点]はあの辺を希望しているんですが――おや、堀川さん。靴《くつ》が焦《こ》げやしませんか?」
保吉の靴はいつのまにかストオヴの胴に触れていたと見え、革の焦げる臭気と共にもやもや水蒸気を昇らせていた。
「それも君、やっぱり伝熱作用だよ。」
宮本は眼鏡《めがね》を拭いながら、覚束《おぼつか》ない近眼《きんがん》の額《ひたい》ごしににやりと保吉へ笑いかけた。
× × ×
それから四五日たった後《のち》、――ある霜曇《しもぐも》りの朝だった。保吉は汽車を捉《とら》えるため、ある避暑地の町はずれを一生懸命に急いでいた。路の右は麦畑、左は汽車の線路のある二間ばかりの堤《つつみ》だった。人っ子一人いない麦畑はかすかな物音に充ち満ちていた。それは誰か麦の間を歩いている音としか思われなかった、しかし事実は打ち返された土の下にある霜柱のおのずから崩《くず》れる音らしかった。
その内に八時の上《のぼ》り列車は長い汽笛を鳴らしなが
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