がら、黒い眼をかがやかせて、注意深く池の中の様子《ようす》を窺《うかが》つた。
 芦の葉の上の蛙は、依然として、大きな口をあけながら、辯じてゐる。
「空は何の為にあるか。太陽を懸《か》ける為にあるのである。太陽は何の為にあるか。我々蛙の背中を乾かす為にあるのである。従つて、全|大空《たいくう》は我々蛙の為にあるのではないか。既《すで》に水も艸木《くさき》も、虫も土も空も太陽も、皆我々蛙の為にある。森羅万象《しんらばんしやう》が悉《ことごと》く我々の為にあると云ふ事実は、最早《もはや》何等《なんら》の疑《うたがひ》をも容《い》れる余地がない。自分はこの事実を諸君の前に闡明《せんめい》すると共に、併せて全宇宙を我々の為に創造した神に、心からな感謝を捧げたいと思ふ。神の御名《みな》は讃《ほ》むべきかなである。」
 蛙は、空を仰いで、眼玉を一つぐるりとまはして、それから又、大きな口をあいて云つた。
「神の御名《みな》は讃《ほ》むべきかな……」
 さう云ふ語《ことば》がまだ完《をは》らない中に、蛇の頭がぶつけるやうにのびたかと思ふと、この雄辯なる蛙は、見る間《ま》にその口に啣《くは》へられた。

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