日《こんにち》に至るまで、何等|断乎《だんこ》たる処置に出でられざるは……されば夫人は旧日の情夫と共に、日夜……日本人にして且|珈琲店《コーヒーてん》の給仕女たりし房子《ふさこ》夫人が、……支那人《シナじん》たる貴下のために、万斛《ばんこく》の同情無き能わず候。……今後もし夫人を離婚せられずんば、……貴下は万人の嗤笑《ししょう》する所となるも……微衷不悪《びちゅうあしからず》御推察……敬白。貴下の忠実なる友より。」
 手紙は力なく陳の手から落ちた。
 ……陳は卓子《テーブル》に倚《よ》りかかりながら、レエスの窓掛けを洩《も》れる夕明りに、女持ちの金時計を眺めている。が、蓋の裏に彫った文字《もじ》は、房子のイニシアルではないらしい。
「これは?」
 新婚後まだ何日も経たない房子は、西洋|箪笥《たんす》の前に佇《たたず》んだまま、卓子《テーブル》越しに夫へ笑顔《えがお》を送った。
「田中《たなか》さんが下すったの。御存知じゃなくって? 倉庫会社の――」
 卓子《テーブル》の上にはその次に、指環の箱が二つ出て来た。白天鵞絨《しろびろうど》の蓋を明けると、一つには真珠の、他の一つには土耳古玉《
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