まだ消えない内に、ニスの※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]のする戸がそっと明くと、顔色の蒼白い書記の今西《いまにし》が、無気味《ぶきみ》なほど静にはいって来た。
「手紙が参りました。」
黙って頷《うなず》いた陳の顔には、その上今西に一言《いちごん》も、口を開かせない不機嫌《ふきげん》さがあった。今西は冷かに目礼すると、一通の封書を残したまま、また前のように音もなく、戸の向うの部屋へ帰って行った。
戸が今西の後にしまった後《のち》、陳は灰皿に葉巻を捨てて、机の上の封書を取上げた。それは白い西洋封筒に、タイプライタアで宛名を打った、格別普通の商用書簡と、変る所のない手紙であった。しかしその手紙を手にすると同時に、陳の顔には云いようのない嫌悪《けんお》の情が浮んで来た。
「またか。」
陳は太い眉を顰《しか》めながら、忌々《いまいま》しそうに舌打ちをした。が、それにも関らず、靴《くつ》の踵《かかと》を机の縁《ふち》へ当てると、ほとんど輪転椅子の上に仰向けになって、紙切小刀《かみきりこがたな》も使わずに封を切った。
「拝啓、貴下の夫人が貞操を守られざるは、再三御忠告……貴下が今
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