刹那に陳の眼の前には、永久に呪《のろ》わしい光景が開けた。…………
横浜。
書記の今西《いまにし》は内隠しへ、房子の写真を還《かえ》してしまうと、静に長椅子《ながいす》から立ち上った。そうして例の通り音もなく、まっ暗な次の間《ま》へはいって行った。
スウィッチを捻《ひね》る音と共に、次の間《ま》はすぐに明くなった。その部屋の卓上電燈の光は、いつの間《ま》にそこへ坐ったか、タイプライタアに向っている今西の姿を照し出した。
今西の指はたちまちの内に、目まぐるしい運動を続け出した。と同時にタイプライタアは、休みない響を刻《きざ》みながら、何行かの文字《もじ》が断続した一枚の紙を吐き始めた。
「拝啓、貴下の夫人が貞操を守られざるは、この上なおも申上ぐべき必要無き事と存じ候。されど貴下は溺愛の余り……」
今西の顔はこの瞬間、憎悪《ぞうお》そのもののマスクであった。
鎌倉。
陳《ちん》の寝室の戸は破れていた。が、その外《ほか》は寝台も、西洋※[#「巾+厨」、第4水準2−8−91]《せいようがや》も、洗面台も、それから明るい電燈の光も、ことごとく一瞬間以前と同じであった。
陳彩《
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