何《ど》うせ随筆である。そんなに難《むづ》かしく考へない方が好《よ》い。あんまり出たらめは困るけれども、必しも風格高きを要せず、名文であることを要せず、博識なるを要せず、凝《こ》ることを要しない。素朴《そぼく》に、天真爛漫《てんしんらんまん》に、おのおのの素質《そしつ》に依つて、見たり、感じたり、考へたりしたことが書いてあれば、それでよろしい」と云つてゐる。それでよろしいには違ひない。しかし問題は中村君の「あんまり出たらめは困るけれども」と云ふ、その「あんまり」に潜《ひそ》んでゐる。「あんまり出たらめ」の困ることは僕も亦《また》君と変りはない。唯君は僕よりも寛容《くわんよう》の美徳に富んでゐるのである。
なほ次手《ついで》に枝葉《しえふ》に亙《わた》れば、中村君は「近来随筆の流行漸く盛んならんとするに当つて、随筆を論ずる者、必ず一方《いつぱう》に永井荷風《ながゐかふう》氏や、近松秋江《ちかまつしうかう》氏を賞揚し、一方に若い人人のそれを嘲笑《てうせう》する傾向がある。(中略)世間が夙《つと》に認めてゐることを、尻馬《しりうま》に乗つて、屋上《をくじやう》屋《おく》を架《か》して見たつ
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