を一番騒がしいと信じてゐたのである。いや、事実はそれ所ではない。自動車だの電車だの飛行機だのの音は、――或は現代の社会的環境は寧《むし》ろ清閑を得る為の必要条件の一つである。かう云ふ社会的環境の中に人となつた君や僕はかう云ふ社会的環境の外《ほか》に安住の天地のある訣《わけ》はない。寂寞《せきばく》も清閑を破壊することは全然|喧騒《けんさう》と同じことである。もし※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]《うそ》だと思ふならば、アフリカの森林に抛《ほふ》り出された君や僕を想像して見給へ。勇敢なる君はホツテントツトの尊長《しうちやう》の王座に登るかも知れない。が、ひと月とたたないうちに不幸なる尊長|中村武羅夫《なかむらむらを》の発狂することも亦《また》明らかである。
中村君は更に「それでは清閑の無いやうな現代の生活からは、芸術を望むことは出来ないかと云ふと、私《わたし》は必《かならず》しもさうではないと思ふのである。芸術なんか、その内容でも形式でも、どんな時代のどんな境地からでも生れるやうに、流通自在のものである。(中略)時代時代に依つてどしどし変つて行つて、一向《いつかう》差支
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