全部ではない。心境は兎《と》に角《かく》金以外に多少の清閑を与へるのである。これも亦《また》僕には異存はない。僕は君の駁《ばく》した文の中にも、「清閑を得る前には先づ金を持たなければならない。或は金を超越しなければならない」とちやんと断《ことわ》つてある筈である。
 しかし中村君は不幸にも清閑を可能ならしめる心境以外に、清閑を不可能ならしめる他の原因を認めてゐる。「しかしもつと根本的なことは、社会的環境だと思ふ。電車や自動車や、飛行機の響きを聞き、新聞雑誌の中に埋《うづ》もれながら、たとへ金があつたところで、昔の人人が浸《ひた》つた「清閑」の境地なんか、とても得られるわけがない。」これは中村君のみならず、屡《しばしば》識者の口から出た、山嶽よりも古い誤謬《ごびう》である。古往今来《こわうこんらい》社会的環境などは一度も清閑を容易にしたことはない。二十世紀の中村君は自動車の音を気にしてゐる。しかし十九世紀のシヨウペンハウエルは馭者《ぎよしや》の鞭《むち》の音を気にしてゐる。更に又大昔のホメエロスなどは轣轆《れきろく》たる戦車の音か何かを気にしてゐたのに違ひない。つまり古人も彼等のゐた時代
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