あるべきものだとは思ふ」と云つてゐる。僕も亦《また》君の駁《ばく》した文の中に、「随筆は清閑の所産である。少くとも僅かに清閑の所産を誇《ほこ》つてゐた文芸の形式である」と云つた。これは勿論随筆以外に清閑は入らんと云つた訣《わけ》ではない。「僅かに清閑の所産を誇つてゐた」と云ふのも事実上の問題に及んだだけである。まことに清閑は芸術の鑑賞並びにその創作の上には必要条件の一つに数へられなければならぬ。少くとも好都合《かうつがふ》の条件の一つに数へられなければならぬ筈である。この点は僕も君の説に少しも異議を述《の》べる必要はない。同時に又君も僕の説に異議を述べる必要はない筈である。
 次に中村《なかむら》君はかう云つてゐる。「芥川《あくたがは》氏は清閑は金《かね》の所産だと言ふ。が(中略)金のあるなしにかかはらず、現在のやうな社会的環境の中では清閑なんか得られないのである。金があればあるで忙《いそが》しからう。金がなければないで忙しからう。清閑を得られる得られないは、金の有無《うむ》よりも、寧《むし》ろ各自の心境の問題だと思ふ。」すると清閑なんか得られないと云つたのは必《かならず》しも君の説の
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