い。が、僕はいつの間にかロツクの影響を受けてしまふのだ。」
「それは君の感受性の……。」
「まあ、聞き給へ。感受性などの問題ではない。ロツクはいつも安んじてあいつだけに出来る仕事をしてゐる。しかし僕は苛《い》ら々々するのだ。それはロツクの目から見れば、或は一歩の差かも知れない。けれども僕には十|哩《マイル》も違ふのだ。」
「しかし先生の英雄曲は……」
 クラバツクは細い目を一層細め、忌々しさうにラツプを睨みつけました。
「黙り給へ。君などに何がわかる? 僕はロツクを知つてゐるのだ。ロツクに平身低頭する犬どもよりもロツクを知つてゐるのだ。」
「まあ少し静かにし給へ。」
「若し静かにしてゐられるならば、……僕はいつもかう思つてゐる。――僕等の知らない何ものかは僕を、――クラバツクを嘲る為にロツクを僕の前に立たせたのだ。哲学者のマツグはかう云ふことを何も彼も承知してゐる。いつもあの色硝子のランタアンの下に古ぼけた本ばかり読んでゐる癖に。」
「どうして?」
「この近頃マツグの書いた『阿呆の言葉』と云ふ本を見給へ。――」
 クラバツクは僕に一冊の本を渡す――と云ふよりも投げつけました。それから又
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