」の字亭のお上《かみ》の話によれば、色の浅黒い、髪の毛の縮《ちぢ》れた、小がらな女だったと言うことです。
わたしはこの婆さんにいろいろの話を聞かせて貰いました。就中《なかんずく》妙に気の毒だったのはいつも蜜柑《みかん》を食っていなければ手紙一本書けぬと言う蜜柑中毒の客の話です。しかしこれはまたいつか報告する機会を待つことにしましょう。ただ半之丞の夢中になっていたお松の猫殺しの話だけはつけ加えておかなければなりません。お松は何でも「三太《さんた》」と云う烏猫《からすねこ》を飼っていました。ある日その「三太」が「青ペン」のお上《かみ》の一張羅《いっちょうら》の上へ粗忽《そそう》をしたのです。ところが「青ペン」のお上と言うのは元来猫が嫌いだったものですから、苦情を言うの言わないのではありません。しまいには飼い主のお松にさえ、さんざん悪態《あくたい》をついたそうです。するとお松は何も言わずに「三太」を懐《ふところ》に入れたまま、「か」の字川の「き」の字橋へ行き、青あおと澱《よど》んだ淵《ふち》の中へ烏猫を抛《ほう》りこんでしまいました。それから、――それから先は誇張かも知れません。が、とにか
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