百円おもらい下され度《たく》、その金で「あ」の字の旦那《だんな》〔これはわたしの宿の主人です。〕のお金を使いこんだだけはまどう[#「まどう」に傍点]〔償《つぐの》う?〕ように頼み入り候。「あ」の字の旦那にはまことに、まことに面目《めんぼく》ありません。のこりの金はみなお前様のものにして下され。一人旅うき世をあとに半之丞。〔これは辞世《じせい》でしょう。〕おまつどの。」
半之丞の自殺を意外《いがい》に思ったのは「な」の字さんばかりではありません。この町の人々もそんなことは夢にも考えなかったと言うことです。若し少しでもその前に前兆《ぜんちょう》らしいことがあったとすれば、それはこう言う話だけでしょう。何《なん》でも彼岸前のある暮れがた、「ふ」の字軒の主人は半之丞と店の前の縁台《えんだい》に話していました。そこへふと通りかかったのは「青ペン」の女の一人です。その女は二人の顔を見るなり、今しがた「ふ」の字軒の屋根の上を火の玉が飛んで行ったと言いました。すると半之丞は大真面目《おおまじめ》に「あれは今おらが口から出て行っただ」と言ったそうです。自殺と言うことはこの時にもう半之丞の肚《はら》にあ
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