、今にもありありと目《ま》のあたりに、拝ませられると御思ひかな?
五位の入道 思はねば何も大声に、御仏《みほとけ》の名なぞを呼びは致さぬ。身共の出家もその為でござるよ。
老いたる法師 それには何か仔細《しさい》でもござるかな?
五位の入道 いや、別段仔細なぞはござらぬ。唯|一昨日《をととひ》狩の帰りに、或講師の説法を聴聞《ちやうもん》したと御思ひなされい。その講師の申されるのを聞けば、どのやうな破戒の罪人でも、阿弥陀仏に知遇《ちぐう》し奉れば、浄土に往かれると申す事ぢや。身共はその時体中の血が、一度に燃え立つたかと思ふ程、急に阿弥陀仏が恋しうなつた。……………
老いたる法師 それから御坊はどうなされたな?
五位の入道 身共は講師をとつて伏せた。
老いたる法師 何、とつて伏せられた?
五位の入道 それから刀を引き抜くと、講師の胸さきへつきつけながら、阿弥陀仏の在処《ありか》を責め問うたよ。
老いたる法師 これは又滅相な尋ね方ぢや。さぞ講師は驚いたでござらう。
五位の入道 苦しさうに眼《まなこ》を吊《つ》り上げた儘、西、西と申された。――や、とかうするうちに、もう日暮ぢや。途中に暇を費して
前へ 次へ
全9ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング