なし》しか知らない読者は、悲しい蟹の運命に同情の涙を落すかも知れない。しかし蟹の死は当然である。それを気の毒に思いなどするのは、婦女童幼のセンティメンタリズムに過ぎない。天下は蟹の死を是《ぜ》なりとした。現に死刑の行われた夜《よ》、判事、検事、弁護士、看守《かんしゅ》、死刑執行人、教誨師《きょうかいし》等は四十八時間熟睡したそうである。その上皆夢の中に、天国の門を見たそうである。天国は彼等の話によると、封建時代の城に似たデパアトメント・ストアらしい。
ついでに蟹の死んだ後《のち》、蟹の家庭はどうしたか、それも少し書いて置きたい。蟹の妻は売笑婦《ばいしょうふ》になった。なった動機は貧困のためか、彼女自身の性情のためか、どちらか未《いまだ》に判然しない。蟹の長男は父の没後、新聞雑誌の用語を使うと、「飜然《ほんぜん》と心を改めた。」今は何でもある株屋の番頭か何かしていると云う。この蟹はある時自分の穴へ、同類の肉を食うために、怪我《けが》をした仲間を引きずりこんだ。クロポトキンが相互扶助論《そうごふじょろん》の中に、蟹も同類を劬《いたわ》ると云う実例を引いたのはこの蟹である。次男の蟹は小説家
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