になった。勿論《もちろん》小説家のことだから、女に惚《ほ》れるほかは何もしない。ただ父蟹の一生を例に、善は悪の異名《いみょう》であるなどと、好《い》い加減《かげん》な皮肉を並べている。三男の蟹は愚物《ぐぶつ》だったから、蟹よりほかのものになれなかった。それが横這《よこば》いに歩いていると、握り飯が一つ落ちていた。握り飯は彼の好物だった。彼は大きい鋏《はさみ》の先にこの獲物《えもの》を拾い上げた。すると高い柿の木の梢《こずえ》に虱《しらみ》を取っていた猿が一匹、――その先は話す必要はあるまい。
 とにかく猿と戦ったが最後、蟹は必ず天下のために殺されることだけは事実である。語を天下の読者に寄す。君たちもたいてい蟹なんですよ。
[#地から1字上げ](大正十二年二月)



底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
   1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:earthian
1998年
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