と称し難いと云った。それから社会主義の某首領は蟹は柿とか握り飯とか云う私有財産を難有《ありがた》がっていたから、臼や蜂や卵なども反動的思想を持っていたのであろう、事によると尻押《しりお》しをしたのは国粋会《こくすいかい》かも知れないと云った。それから某宗《ぼうしゅう》の管長某師は蟹は仏慈悲《ぶつじひ》を知らなかったらしい、たとい青柿を投げつけられたとしても、仏慈悲を知っていさえすれば、猿の所業を憎む代りに、反《かえ》ってそれを憐んだであろう。ああ、思えば一度でも好《い》いから、わたしの説教を聴かせたかったと云った。それから――また各方面にいろいろ批評する名士はあったが、いずれも蟹の仇打ちには不賛成《ふさんせい》の声ばかりだった。そう云う中にたった一人、蟹のために気を吐いたのは酒豪《しゅごう》兼詩人の某代議士である。代議士は蟹の仇打ちは武士道の精神と一致すると云った。しかしこんな時代遅れの議論は誰の耳にも止《とま》るはずはない。のみならず新聞のゴシップによると、その代議士は数年以前、動物園を見物中、猿に尿《いばり》をかけられたことを遺恨《いこん》に思っていたそうである。
お伽噺《とぎば
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