されたことをあきらめ給えと云ったのだか、弁護士に大金《たいきん》をとられたことをあきらめ給えと云ったのだか、それは誰にも決定出来ない。
 その上新聞雑誌の輿論《よろん》も、蟹に同情を寄せたものはほとんど一つもなかったようである。蟹の猿を殺したのは私憤《しふん》の結果にほかならない。しかもその私憤たるや、己《おのれ》の無知と軽卒《けいそつ》とから猿に利益を占められたのを忌々《いまいま》しがっただけではないか? 優勝劣敗の世の中にこう云う私憤を洩《も》らすとすれば、愚者にあらずんば狂者である。――と云う非難が多かったらしい。現に商業会議所会頭某|男爵《だんしゃく》のごときは大体|上《かみ》のような意見と共に、蟹の猿を殺したのも多少は流行の危険思想にかぶれたのであろうと論断した。そのせいか蟹の仇打《かたきう》ち以来、某男爵は壮士のほかにも、ブルドッグを十頭|飼《か》ったそうである。
 かつまた蟹の仇打ちはいわゆる識者の間《あいだ》にも、一向《いっこう》好評を博さなかった。大学教授某|博士《はかせ》は倫理学上の見地から、蟹の猿を殺したのは復讐《ふくしゅう》の意志に出《で》たものである、復讐は善
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