その上、蹄《ひづめ》の音と、鳴く声とは、うすい夜の霧をうごかして、ものものしく、四方《あたり》に響き渡つた。すると、窓の戸をあけて、顔を出したものがある。暗いので、顔はわからないが、伊留満に化けた悪魔には、相違ない。気のせゐか、頭の角は、夜目ながら、はつきり見えた。
 ――この畜生、何だつて、己《おれ》の煙草畑を荒らすのだ。
 悪魔は、手をふりながら、睡《ね》むさうな声で、かう怒鳴つた。寝入りばなの邪魔をされたのが、よくよく癪《しやく》にさはつたらしい。
 が、畑の後へかくれて、容子《ようす》を窺《うかが》つてゐた牛商人の耳へは、悪魔のこの語《ことば》が、泥烏須《でうす》の声のやうに、響いた。……
 ――この畜生、何だつて、己の煙草畑を荒らすのだ。

        *      *      *

 それから、先の事は、あらゆるこの種類の話のやうに、至極、円満に完《をは》つてゐる。即《すなはち》、牛商人は、首尾よく、煙草と云ふ名を、云ひあてて、悪魔に鼻をあかさせた。さうして、その畑にはえてゐる煙草を、悉く自分のものにした。と云ふやうな次第である。
 が、自分は、昔からこの伝説に、より
前へ 次へ
全15ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング