ち》にあるものは懇請の情ばかりではない、お坊主《ぼうず》と云う階級があらゆる大名に対して持っている、威嚇《いかく》の意も籠《こも》っている。煩雑な典故《てんこ》を尚《とうと》んだ、殿中では、天下の侯伯も、お坊主の指導に従わなければならない。斉広には一方にそう云う弱みがあった。それからまた一方には体面上|卑吝《ひりん》の名を取りたくないと云う心もちがある。しかも、彼にとって金無垢の煙管そのものは、決して得難い品ではない。――この二つの動機が一つになった時、彼の手は自《おのずか》ら、その煙管を、河内山の前へさし出した。
「おお、とらす。持ってまいれ。」
「有難うございまする。」
宗俊は、金無垢の煙管をうけとると、恭しく押頂《おしいただ》いて、そこそこ、また西王母の襖《ふすま》の向うへ、ひき下った。すると、ひき下る拍子に、後《うしろ》から袖を引いたものがある。ふりかえると、そこには、了哲《りょうてつ》が、うすいも[#「うすいも」に傍点]のある顔をにやつかせながら、彼の掌《てのひら》の上にある金無垢の煙管をもの欲しそうに、指さしていた。
「こう、見や。」
河内山は、小声でこう云って、煙管の雁首《がんくび》を、了哲の鼻の先へ、持って行った。
「とうとう、せしめたな。」
「だから、云わねえ事じゃねえ。今になって、羨《うらや》ましがったって、後《あと》の祭だ。」
「今度は、私《わし》も拝領と出かけよう。」
「へん、御勝手《ごかって》になせえましだ。」
河内山は、ちょいと煙管の目方をひいて見て、それから、襖ごしに斉広の方を一瞥《いちべつ》しながら、また、肩をゆすってせせら笑った。
四
では、煙管《きせる》をまき上げられた斉広《なりひろ》の方は、不快に感じたかと云うと、必しもそうではない。それは、彼が、下城《げじょう》をする際に、いつになく機嫌《きげん》のよさそうな顔をしているので、供《とも》の侍たちが、不思議に思ったと云うのでも、知れるのである。
彼は、むしろ、宗俊に煙管をやった事に、一種の満足を感じていた。あるいは、煙管を持っている時よりも、その満足の度は、大きかったかも知れない。しかしこれは至極当然な話である。何故と云えば、彼が煙管を得意にするのは、前にも断《ことわ》ったように、煙管そのものを、愛翫《あいがん》するからではない。実は、煙管の形をして
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