煙管
芥川龍之介
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)加州《かしゅう》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)石川|郡《ごおり》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)うすいも[#「うすいも」に傍点]のある顔を
〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)主な 〔role^〕 をつとめる
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
−−
一
加州《かしゅう》石川|郡《ごおり》金沢城の城主、前田|斉広《なりひろ》は、参覲中《さんきんちゅう》、江戸城の本丸《ほんまる》へ登城《とじょう》する毎に、必ず愛用の煙管《きせる》を持って行った。当時有名な煙管商、住吉屋七兵衛《すみよしやしちべえ》の手に成った、金無垢地《きんむくじ》に、剣梅鉢《けんうめばち》の紋《もん》ぢらしと云う、数寄《すき》を凝《こ》らした煙管《きせる》である。
前田家は、幕府の制度によると、五世《ごせ》、加賀守綱紀《かがのかみつなのり》以来、大廊下詰《おおろうかづめ》で、席次は、世々|尾紀水三家《びきすいさんけ》の次を占めている。勿論、裕福な事も、当時の大小名の中で、肩を比べる者は、ほとんど、一人もない。だから、その当主たる斉広が、金無垢《きんむく》の煙管を持つと云う事は、寧《むし》ろ身分相当の装飾品を持つのに過ぎないのである。
しかし斉広は、その煙管を持っている事を甚《はなは》だ、得意に感じていた。もっとも断って置くが、彼の得意は決して、煙管そのものを、どんな意味ででも、愛翫《あいがん》したからではない。彼はそう云う煙管を日常口にし得る彼自身の勢力が、他の諸侯に比して、優越な所以《ゆえん》を悦んだのである。つまり、彼は、加州百万石が金無垢の煙管になって、どこへでも、持って行けるのが、得意だった――と云っても差支《さしつか》えない。
そう云う次第だから、斉広は、登城している間中、殆どその煙管を離した事がない。人と話しをしている時は勿論、独りでいる時でも、彼はそれを懐中から出して、鷹揚《おうよう》に口に啣《くわ》えながら、長崎煙草《ながさきたばこ》か何かの匂いの高い煙りを、必ず悠々とくゆらせている。
勿論この得意
次へ
全9ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング