飯沼はもう一度口を挟んだ。
「だからその中でもといっているじゃないか? 髪は勿論|銀杏返《いちょうがえ》し、なりは薄青い縞《しま》のセルに、何か更紗《さらさ》の帯だったかと思う、とにかく花柳小説《かりゅうしょうせつ》の挿絵《さしえ》のような、楚々《そそ》たる女が立っているんだ。するとその女が、――どうしたと思う? 僕の顔をちらりと見るなり、正に嫣然《えんぜん》と一笑《いっしょう》したんだ。おやと思ったが間《ま》に合わない。こっちは木馬に乗っているんだから、たちまち女の前は通りすぎてしまう。誰だったかなと思う時には、もうわが赤い木馬の前へ、楽隊の連中が現れている。――」
 我々は皆笑い出した。
「二度目もやはり同じ事さ。また女がにっこりする。と思うと見えなくなる。跡《あと》はただ前後左右に、木馬が跳《は》ねたり、馬車が躍ったり、然《しか》らずんば喇叭《らっぱ》がぶかぶかいったり、太鼓《たいこ》がどんどん鳴っているだけなんだ。――僕はつらつらそう思ったね。これは人生の象徴だ。我々は皆同じように実生活の木馬に乗せられているから、時たま『幸福』にめぐり遇っても、掴《つか》まえない内にすれ
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