違ってしまう。もし『幸福』を掴まえる気ならば、一思いに木馬を飛び下りるが好《よ》い。――」
「まさかほんとうに飛び下りはしまいな?」
からかうようにこういったのは、木村という電気会社の技師長だった。
「冗談《じょうだん》いっちゃいけない。哲学は哲学、人生は人生さ。――所がそんな事を考えている内に、三度目になったと思い給え。その時ふと気がついて見ると、――これには僕も驚いたね。あの女が笑顔《えがお》を見せていたのは、残念ながら僕にじゃない。賄征伐《まかないせいばつ》の大将、リヴィングストンの崇拝家、ETC. ETC. ……ドクタア和田長平《わだりょうへい》にだったんだ。」
「しかしまあ哲学通りに、飛び下りなかっただけ仕合せだったよ。」
無口な野口も冗談をいった。しかし藤井は相不変《あいかわらず》話を続けるのに熱中していた。
「和田のやつも女の前へ来ると、きっと嬉しそうに御時宜《おじぎ》をしている。それがまたこう及び腰に、白い木馬に跨《またが》ったまま、ネクタイだけ前へぶらさげてね。――」
「嘘をつけ。」
和田もとうとう沈黙を破った。彼はさっきから苦笑《くしょう》をしては、老酒《ラオ
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