守居役を勤めてゐた。しかし見えない鞭の影は絶えず彼女を脅《おび》やかしてゐた。或時は風呂を焚《た》かなかつた為に、或時は籾《もみ》を干し忘れた為に、或時は牛の放れた為に、お住はいつも気の強いお民に当てこすりや小言を云はれ勝ちだつた。が、彼女は言葉も返さず、ぢつと苦しみに堪へつづけた。それは一つには忍従に慣れた精神を持つてゐたからだつた。又二つには孫の広次が母よりも寧《むし》ろ祖母の彼女に余計なついてゐたからだつた。
お住は実際はた目には殆ど以前に変らなかつた。もし少しでも変つたとすれば、それは唯以前のやうに嫁のことを褒めないばかりだつた。けれどもかう云ふ些細《ささい》の変化は格別人目を引かなかつた。少くとも隣のばあさんなどにはいつも「後生《ごしやう》よし」のお住だつた。
或夏の日の照りつけた真昼、お住は納屋《なや》の前を覆つた葡萄棚の葉の陰に隣のばあさんと話してゐた。あたりは牛部屋の蠅の声の外に何の物音も聞えなかつた。隣のばあさんは話をしながら、短い巻煙草を吸つたりした。それは倅の吸ひ殻を丹念に集めて来たものだつた。
「お民さんはえ? ふうん、干し草刈りにの? 若えのにまあ、何でも
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