笠をかなぐり捨てるが早いか、「瀬沼兵衛《せぬまひょうえ》、加納求馬《かのうもとめ》が兄分、津崎左近が助太刀《すけだち》覚えたか。」と呼びかけながら、刀を抜き放って飛びかかった。が、相手は編笠をかぶったまま、騒ぐ気色もなく左近を見て、「うろたえ者め。人違いをするな。」と叱りつけた。左近は思わず躊躇《ちゅうちょ》した。その途端に侍の手が刀の柄前《つかまえ》にかかったと思うと、重《かさ》ね厚《あつ》の大刀が大袈裟《おおげさ》に左近を斬り倒した。左近は尻居に倒れながら、目深《まぶか》くかぶった編笠の下に、始めて瀬沼兵衛の顔をはっきり見る事が出来たのであった。

        二

 左近《さこん》を打たせた三人の侍は、それからかれこれ二年間、敵《かたき》兵衛《ひょうえ》の行《ゆ》く方《え》を探って、五畿内《ごきない》から東海道をほとんど隈《くま》なく遍歴した。が、兵衛の消息は、杳《よう》として再び聞えなかった。
 寛文《かんぶん》九年の秋、一行は落ちかかる雁《かり》と共に、始めて江戸の土を踏んだ。江戸は諸国の老若貴賤《ろうにゃくきせん》が集まっている所だけに、敵の手がかりを尋ねるのにも、何か
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