喜三郎の顔を見ると、必ず求馬のけなげさを語って、この主《しゅう》思いの若党の眼に涙を催させるのが常であった。しかし彼等は二人とも、病さえ静に養うに堪えない求馬の寂しさには気がつかなかった。
やがて寛文十年の春が来た。求馬はその頃から人知れず、吉原の廓《くるわ》に通い出した。相方《あいかた》は和泉屋《いずみや》の楓《かえで》と云う、所謂《いわゆる》散茶女郎《さんちゃじょろう》の一人であった。が、彼女は勤めを離れて、心から求馬のために尽した。彼も楓のもとへ通っている内だけ、わずかに落莫とした心もちから、自由になる事が出来たのであった。
渋谷《しぶや》の金王桜《こんおうざくら》の評判が、洗湯《せんとう》の二階に賑わう頃、彼は楓の真心に感じて、とうとう敵打《かたきうち》の大事を打ち明けた。すると思いがけなく彼女の口から、兵衛らしい侍が松江《まつえ》藩の侍たちと一しょに、一月《ひとつき》ばかり以前和泉屋へ遊びに来たと云う事がわかった。幸《さいわい》、その侍の相方《あいかた》の籤《くじ》を引いた楓は、面体《めんてい》から持ち物まで、かなりはっきりした記憶を持っていた。のみならず彼が二三日|中《
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