僕は手段を定めた後も半ばは生に執着してゐた。従つて死に飛び入る為のスプリング・ボオドを必要とした。(僕は紅毛人たちの信ずるやうに自殺することを罪悪とは思つてゐない。仏陀は現に阿含経《あごんきやう》の中に彼の弟子の自殺を肯定してゐる。曲学阿世《きよくがくあせい》の徒はこの肯定にも「やむを得ない」場合の外はなどと言ふであらう。しかし第三者の目から見て「やむを得ない」場合と云ふのは見す見すより[#「より」に傍点]悲惨に死ななければならぬ非常の変の時にあるものではない。誰でも皆自殺するのは彼自身に「やむを得ない場合」だけに行ふのである。その前に敢然と自殺するものは寧《むし》ろ勇気に富んでゐなければならぬ。)このスプリング・ボオドの役に立つものは何と言つても女人である。クライストは彼の自殺する前に度たび彼の友だちに(男の)途《みち》づれになることを勧誘した。又ラシイヌもモリエエルやボアロオと一しよにセエヌ河に投身しようとしてゐる。しかし僕は不幸にもかう云ふ友だちを持つてゐない。唯僕の知つてゐる女人は僕と一しよに死なうとした。が、それは僕等[#「僕等」に傍点]の為には出来ない相談になつてしまつた。
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