A強くなつて来るばかりです。と同時に妙子の耳には、丁度|銅鑼《どら》でも鳴らすやうな、得体《えたい》の知れない音楽の声が、かすかに伝はり始めました。これはいつでもアグニの神が、空から降りて来る時に、きつと聞える声なのです。
もうかうなつてはいくら我慢しても、睡らずにゐることは出来ません。現に目の前の香炉の火や、印度人の婆さんの姿でさへ、気味の悪い夢が薄れるやうに、見る見る消え失せてしまふのです。
「アグニの神、アグニの神、どうか私の申すことを御聞き入れ下さいまし。」
やがてあの魔法使ひが、床《ゆか》の上にひれ伏した儘、嗄《しはが》れた声を挙げた時には、妙子は椅子に坐りながら、殆ど生死も知らないやうに、いつかもうぐつすり寝入つてゐました。
五
妙子は勿論婆さんも、この魔法を使ふ所は、誰の眼にも触れないと、思つてゐたのに違ひありません。しかし実際は部屋の外に、もう一人戸の鍵穴から、覗《のぞ》いてゐる男があつたのです。それは一体誰でせうか?――言ふまでもなく、書生の遠藤です。
遠藤は妙子の手紙を見てから、一時は往来《わうらい》に立つたなり、夜明けを待たうかとも思ひました。が
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